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【産経抄】
「小さな声」でも、原発擁護を口にすれば…
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/120719/biz12071903060001-n1.htm


本当に、こんな世の中が着てしまったら、それこそ世の中おかしすぎる。
長いものや、集団に居れば安心という変な日本人気質に警鐘を鳴らすきっかけになればいい。


当方は電気を使って生活することが必要なので、原発の反対も賛成もしない。
そりゃ多様な日本の風土や四季が電気に転用できたら言うことは無いだろうが、それは自分がやることではなく電力会社がやることなので、やってくれるなら歓迎という立場である。
その可能性があるから、はい原発止めました。と同じく電力会社が言うなら、それはまたそれで歓迎だ。
要するに、滞りなく電力が賄えるなら、どちらに転ぶこともしない。それだけだ。

結局、大往生よりは癌になって死ぬだろうことを考えれば、今更放射能ぐらいでグダグダ言う年齢でも無くなったとも言えるけれど。
月の生活費とインターネットさえどうにかなるなら、別に福島に住んでもいいとさえ思っている。

反原発デモも、世の中に声を上げるということにやっと気づいたと考えれば、悪いとは思っていない。
ただ、反原発である以上、デモに参加する人はできるだけ電気を使わない生活をするべきだとは思う。
電気使いまくりの甘んじた生活してるくせに、反原発するというのは、これから先希望的観測ではなく現実的に電気をどう賄っていくか個々人でも考える必要が有るだろう。
夏の緑のカーテンは当たり前として、壁紙を熱がこもらないようにするだとか、太陽光や家庭用風力をつけるだとか、簡易太陽光発電装置で充電式乾電池を使うとか、そういう細かいものから、健康で階段がある場合は、エレベーター・エスカレーターを使わないだとか、移動は徒歩や自転車で行うだとか、そういうことだ。

そういった次世代や自然エネルギーから電力を考えるのは、自分たちではないが、原発がいやだというのは、ただの逃げだ。
デモを行うのであれば、どうしたらいいのか、どうすればいいのか、そういった事も考えて参加すべきだ。
感情論だけで集うのは猿でもできるし、いやいやしか言わないのは子供のわがままだ。
デモを成功させたいならば、理論を持ち、代替案を用意し、「世の中こうしたい」という気持ちで行わなければ烏合の衆でしかない。

電気を使わず、自然エネルギーだけで生きてきたいから、原発を止めて欲しい。これに類似するようなことを考え行動している人なんてほとんどいないだろう。
それは原発が嫌だという感情だけで動き、自然エネルギーが全てのピーク電力を賄うことはできないと根底で理解している現われだろうと思う。

反原発だけを訴えるだけなんて未来がない。未来が無いデモはただの集団。集団になったことで、うっかり自分が正しいと思い込んでいる勘違い。
周りに強要せず、自分だけの努力になろうとも、叶えたい信念であるという覚悟がないなら、参加するな。
信念もなく集まっただけの奴らは邪魔なだけだ。
デモとは信念の塊であり、声であるべきだ。

そんなことより、役員給与と賠償金を確保する為に、電気料金を値上げする東電に、役員給与・報酬を全額カットしろ、ボーナスも3年以上カット(平社員の給与は削っていけません。現場でがんばっているのは彼らです)電気料金を上げるのはそれからだ!と、デモするほうが有益に思える。


もう一度言う。当方はデモを否定しない。
だが、烏合の衆にはなるな。集団になることによる自分(達)が正しいという錯覚を起こすな。理論的信念を持て。
それだけである。

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